Underground Railroad -アナーバー・イプシランティ周辺の地下鉄道の歴史と今-

Underground Railroad―すなわち地下鉄道。

なんともミステリアスな言葉の響きではないでしょうか。その実態は、すべての奴隷が解放される以前、南部からの逃亡奴隷を、当時すでに奴隷制度が廃止されていた自由国家カナダへ国外脱出させるための秘密組織。その逃亡ルートが地元アナーバーやイプシランティを中心にはりめぐらされ、station(駅)と呼ばれた隠れ家がいくつも現存するとは。日本では聞いたこともなかったアメリカ史の秘話が、あまり歴史の表舞台に登場しないここ中西部ミシガン州の地元に眠っているという事実に、胸を躍らせながら、少しその詳しい歴史を見ていきたいと思います。

Underground Railroad(地下鉄道)の概略

アメリカで奴隷制度が誕生して以来、自力で逃亡を試みる黒人奴隷は常に存在してきました。それに手を差し伸べる人々も存在し、やがてそれが組織化されるようになったのが、地下鉄道の始まりです。その初期には、平和・平等主義を掲げるクエーカー教徒が大きく貢献しましたが、他の教会組織や、人道的立場から奴隷制に反対する白人、自由黒人(非奴隷として生まれた黒人、合法的に自由になった元奴隷、逃亡した元奴隷)、アメリカインディアン、現在奴隷の黒人など、地下鉄道に携わった人々は人種や立場も異なる様々な人たちでした。奴隷は南部奴隷州では所有者の動的資産であったため、所有権を主張する所有者や懸賞金目当ての奴隷ハンターが執拗に北部自由州まで逃亡奴隷を追いかけてきました。逃亡者は車掌と呼ばれる案内人に導かれ、かくまってくれる家から家を転々と移動し、カナダを目指しました。地下鉄道の最盛期だった1840年代から1860年半ばまでの約20年間で、カナダに逃亡した黒人の数は3万人と言われています。(6000人と書かれている文献もある。)

特に1850年に逃亡奴隷法が強化され、逃亡奴隷への援助行為がより厳しく罰せられるようになると、失敗は許されず、一つ一つの逃亡の成功が、やがてアメリカの奴隷制度を崩壊させるほどの流れへとつながって行きました。

当時のアメリカ史上のできごと

1860年:リンカーン大統領就任、1861年:南北戦争開始、1862年:リンカーンの奴隷解放宣言、1865年:南北戦争終結、憲法修正第13条にて奴隷制度の廃止が正式となる

Underground Railroadで使われた暗号

地下鉄道の活動は極秘だったため、隠語が使われていました。

Underground railroad(地下鉄道)

逃亡奴隷をカナダまで逃亡させる秘密の組織及び逃亡ルートを指す。一夜のうちに姿を消した奴隷のことを「まるで地下にもぐって鉄道にでも乗って行ったかのように地上から姿をくらました。」と奴隷所有者がつぶやいた言葉から生まれた名前。地下に逃亡トンネルが掘られていたわけではない。追手の目をくらますため、そのルートは最短直線ではなくジグザグで、情報漏えい防止のため、関係者は担当地域のみ把握しており全貌を把握している者はあえて置かれていなかった。

Station(駅)・Station master(駅長)

ポーチの屋根部分が2階の部屋から出入りできる隠し部屋だった
ポーチの屋根部分が2階の部屋から出入りできる隠し部屋だった

駅は逃亡者をかくまう家や納屋など逃亡ルート上のポイントのこと。次の駅までは約15~16マイルで、一晩で徒歩移動できる距離だった。家主は駅長と呼ばれ、食事も提供した。逃亡者は、日中は隠れており夜間に次の駅まで移動した。地下室や屋根裏を改造して秘密の隠れ場所になっている家も残っている。

Conductor(車掌)

逃亡の手引きをした人。車掌として有名なハリエット・タブマンという黒人女性は、自分がカナダに逃亡成功した後、繰り返し南部に戻っては累計300人以上の人の逃亡の手引きをし、「黒いモーゼ」、「女モーゼ」と呼ばれた。ただし彼女は東部ルート上で活躍したのでミシガンの地下鉄道とは関係が無い

Agent(エージェント)

その地域の地下鉄道をとりまとめる人物のこと。前後の地域のエージェントと連絡をとり、逃亡者到着の日時を事前に知らせた。

Passenger(乗客)、Baggage(荷物)

逃亡者のこと。

Midnight town(真夜中の町)

デトロイトのこと。デトロイトは地下鉄道の終点カナダの一つ手前の駅として、逃亡者たちがめざす希望の町だった。また、デトロイトにはすでに自由黒人が多く居住していたので、カナダに渡らずデトロイトに定住する逃亡者も多くいた。

Heaven(天国)

イギリス領カナダのこと。1833年に奴隷制度を廃止していたので、カナダの土地を踏みさえすれば自動的に自由の身が保障された。

Follow the Drinking Gourd (柄杓<北斗七星>を追いかけて)

逃亡奴隷の間で歌われた歌。北斗七星の先の北極星をめざして北に行けば真夜中の町、そこから川を渡れば自由を手にできる、と歌で逃亡ルートを伝えた。

その他

駅となる家屋のポーチでランプに火を灯したり、車掌や駅長の間では特別な握手の仕方があるなど、逃亡者引き渡しの際の安全確認があった。黒人が作るキルトブランケットの模様が東西南北や駅の場所などを指す暗号になっていたとの説があるが、信憑性に乏しいため、現在の歴史家の間では、後付けの作り話だろうと結論付けられている。

ミシガンが果たした役割

地理的背景

ミシガンは南部奴隷州から最も遠く離れた北部に位置し、周囲は湖に囲まれ、自由国カナダと隣接しています。1820年代の最初の入植者は、奴隷制度に強く反対するニューイングランド州の人々でした。その後自由黒人の入植もあり、誕生当初から奴隷制に反対する多様な人々が居住する土地だったと言えます。1837年に州に昇格した際には、奴隷禁止州となりました。

地下鉄道による逃亡ルート

南部奴隷州からカナダに向けての逃亡ルートは大きく二つに分かれていました。アパラチア山脈以東の東部地域の州はフィラデルフィアやニューヨーク経由で陸路や海路でカナダ入りしました。もうひとつはルイジアナ、アラバマ、ミシシッピー、アーカンソー、テネシー、ケンタッキー、ミズーリから北部の州を経由してカナダに渡るルートです。この後者のルートはさらに何本かに分かれますが、それがすべてミシガン州アナーバーに集約され、カナダへ繋がっていました。南部ケンタッキーからの逃亡者は、オハイオ川を渡って自由州オハイオに入り、トレド経由で北上してアナーバーまでたどり着いたわけです。次の駅は東隣のイプシランティです。そこからさらにPlymouth、River Rouge、Sartzburg、Detroit、と東へ進み、デトロイト川を渡ってカナダに入るルートをとりました。今日、I-94でカナダのウインザーまで行くルートとほぼ同じです。しかしこのルート上で追手の警備強化が高まると、危険回避のため北上ルートをとるようになりました。これは、イプシランティからNorthville, Farmington, Birmingham, Pontiac, Rochester, Utica, Romeo, Richmond, New Haven経由でSt.Clare Riverを渡ってカナダに入るルートです。逃亡ルートは直線最短距離ではなく、追手の目をかいくぐるようにジグザク状に鉄道網を進み、同じルートは二度と使わなかったほど慎重には慎重を期していたとのことです。

アナーバーとイプシランティが果たした役割

アナーバーは、ダウンタウンに1836年ミシガン州の奴隷反対組織の本部がおかれ、機関紙“Signal of Liberty”が発行され、ミシガン州の奴隷解放運動の牽引役を果たしました。北からダウンタウンに入るブロードウェー橋手前にあった組織本部や機関紙印刷所跡には今でも石碑が残っています。橋から北部は黒人が多く居住した地域で、黒人教会や学校があり、見知らぬ土地に移住してきた黒人たちの心の支えとなっていました。しかし、奴隷解放主義者はごく一部に限られ、多くの住民は、奴隷制に反対はするものの、解放運動の過激化や法律を犯してまで行う地下鉄道活動を疎ましく思っていたようです。一方、イプシランティは、黒人に寛容で安全だとの評判から1830年代から黒人が永住地として居住し始め、農家や実業家として成功する者も多くいました。

地下鉄道に係わった人々

アナーバーのガイ・ベックレー(Guy Beckley)は、奴隷制反対主義者で教会の司祭でしたが、1839年にアナーバーに移住し、奴隷制反対組織の幹部となり機関紙を発行した人物です。急進的すぎるため教会を追放され、より奴隷制反対色が強い別の宗派の教会に移籍しました。全財産を運動につぎ込み、生活は資産家の弟の援助を受けていたそうです。当然、地下鉄道でも中心的役割を果たしたはずですが、有名人であるがため、今でもPontiac Trailに建つ彼の家は、危険すぎるので実際に駅としては使用されていなかったのではないかと言われています。他にも、道路名でおなじみのGeddesやGlasierといった白人地主が駅長として活躍しました。

イプシランティの黒人ジョージ・マッコイ(McCoy)も駅長でした。彼自身奴隷でしたが所有者によって解放され自由黒人となり、同じ主人のもとで働き続けたものの、妻が自由化されなかったため、二人は地下鉄道でカナダへ一度逃亡しました。そこでタバコ栽培と製造に携わっていましたが、後アメリカに戻りイプシランティに移住し、Starkweather家の農場で働きながらタバコ販売事業を興し成功しました。タバコを積んだ馬車を二重底にして逃亡者を隠して何回も運んだとのことです。ちなみに息子イライジャElijaは発明家で、列車の潤滑油自動補充器”Real McCoy"を発明したことで大変有名です。この発明によってオーバーヒートして頻繁に停車していた列車が、ひと駅の区間をノンストップで走行できるようになりました。

Journey to Freedom Tour 地下鉄道バスツアー

アナーバー・イプシランティ周辺の地下鉄道にまつわる史跡めぐりには、ガイド付きリムジンバスで巡るツアーがあります。このツアーは2002年にNational Underground Railroad Network to Freedom(米国内務省国立公園局内)から認定を受けた公式ツアーです。
1Ann Arbor中心;ケリータウンのファーマーズマーケットつき
(2)Ypsilanti中心;Ypsilanti Historical Museumつき
(3)Ann ArborとYpsilanti
の3種類がありますが、参加者の希望を取り入れて毎回内容が少しずつ異なるとのことです。何回参加しても新たな発見があって楽しいかもしれません。一人20ドル(2012年10月現在)、所要時間2-3時間で、駅として使用された家やゆかりの墓地などを巡りますが、家は現在個人の邸宅であるため内部は見学できません。私も参加しましたが、毎日何気なく車で通過している道に歴史の足跡が残されていることに驚かされました。

バスツアーを主催するのは、The African American Cultural & Historical Museum of Washtenaw Countyという団体で、Washtenaw Countyの黒人の文化と歴史を研究し保存展示することを目的に1993年に設立されました。名称にmuseumとありますが、博物館はありません。主な活動としてこのバスツアー実施のほか、図書館や学校などへ出向く出張講演などを行っています。アナーバー市内Pontiac Trailにある廃屋(ダウンタウンから歴史的な民家をわざわざ買い取り移転させた)を修復して恒久的な博物館兼本部とする計画があるものの、現在はまだ資金集めの段階で完成のめどは立っていません。

Deborah Meadowさん
Deborah Meadowさん

ツアーは現在、2代目案内人であるDeborah Meadowさんのガイドによって行われています。彼女は、平日看護師として病院に勤務する傍ら、地下鉄道について独学で勉強して、週末にバスツアーのガイドの仕事をしているとのことでした。この仕事を始めたきっかけは、自身も黒人であることから、あらためて地元の地下鉄道の歴史に興味を持ち、本を読んで勉強しはじめたところ、この団体の役員でもある母親に、ツアーのガイドをしてみては、と勧められたためとのことです。今も日々資料や歴史の本を読んで研究に余念がありません。また、隠れ家は現在、個人所有の家屋ばかりなので、住人に会いに出向いて話を聞いたり、特別家の中を見せてもらったこともあるそうです。彼女の知識の豊富さがツアーを盛り上げてくれます。

 このツアーは言うなれば、立ち上げて間もない、地元の小さな団体の手作りのツアーです。プライベートツアーも組んでくれるそうなので、ぜひ一度参加されてみてはいかがでしょうか。(連絡先は下)

興味がわいたらぜひ訪れたい場所

地下鉄道についてもっと詳しく知りたい方には以下の博物館がお勧めです。

●デトロイト アフリカンアメリカン博物館

CH Wright Museum of African American History (Detroit, Michigan)

http://thewright.org/

●シンシナティー 地下鉄道フリーダムセンター

National Underground Railroad Freedum Center (Cincinnati, Ohio)

http://www.freedomcenter.org/

●イプシランティ歴史博物館

Ypsilanti historical society (Ypsilanti, Michigan)

http://www.ypsilantihistoricalsociety.org/index.html

●アナーバー・イプシランティ地下鉄道バスツアー (4月から10月のみ開催)

Journey to Freedom 2012 Bus Tour

Deborah Meadows (tel) 734-819-8182  (email) deborahmeadows2@msn.com


さいごに:今回の執筆に当たりデボラさんにはツアー以外にも個人的にお会いしてお話を聞かせていただきました。お礼申し上げます。

晴子