正統派のジャズファンにとって、ジャズフェスティバルといえば、ニューヨークから車で3時間ほどの東海岸にあるお金持ちが避暑に集まる町 Newportで誕生した、かの有名なNewport Jazz Festivalがまず頭に浮かぶだろう。あるいは、ジャズが生まれた町New Orleansで開催されるNew Orleans Jazz Heritage
Festivalは第一に挙げるべきだと主張される方もいるだろう。
私がここで取り上げたいのは、ミシガンで出会ったJazz Festival なのである。
2014年の4月に私はミシガンに来た。事情があって6月末にNoviから新興地と言われるCantonへ引越しした。ある土曜日の夕方、夕食をしに我々夫婦が車で出かけた。走行中に、微かに軽快なトランペットの甲高い音色が聞こえた。「え!何々?」と二人で窓を全開にして、音楽が流れてきた方向を眺めた。しかし、道路の向こう側に見えたのは、どこにもある普通の大きなモールだった。でも、間違いなく、聞こえたのはジャズの生演奏らしいものだった。主人は筋金入りのジャズファンだから、躊躇せずに「のぞいてみよう!」と即、ハンドルを切って、モールへ進路変更した。
モールの広い駐車場へくねくねと入ったら、煌々としたステージカーが目の前に現れた。北米の8月の夕方は、まだ信じられないほど明るくて、日差しもまだ非常に強かった。奏者たちの顔から大粒な汗が滴れてくるのが見えた。手にしている金属楽器は眩しい光を放っていた。ステージカーに向かって、すでに数多い聴衆が集まっていた。みんなは各自持参してきたアウトドアー用の椅子に腰を下ろして、サングラスを掛けたままにしたり、日傘を差したり、ときには隣人と短く話を交わしたり、悠々とした顔でジャズを聴いていた。まだ状況を把握できていない私たちは、とりあえず聞いてみようという気持ちで、やや離れていた日陰に入って地べたに座った。
ドラム、ベース、ギター、トランペットの音色が乾き切った空気に乗って、自由奔放なまま、我々の鼓膜にいい具合に織り込んだメロディーを送り届けてくれた。ああ、思いがけないところでジャズを聴けるなんて!
会場を見渡す限り、巨大なモールの駐車場の一部のスペースを確保して作られた会場はまあまあの広さがあって、聴衆の人数は4百人前後であろうか。ステージカーの片側に、鮮やかなテントが2張あって、何人かのスタッフらしき人が座っていた。そして、ステージカーに「Canton Color tour- Jazz Series」と書かれている垂れ幕が掛けていた。夏の間に北米の各地でよく無料な屋外コンサートが行われる話を聞いたことがある。これは間違いなくCantonの町が主催した無料ジャズフェスティバルだろう。
ステージカーの背後は雲一つない夏の高い青空が広がっていた。モールの各店舗はまだ営業時間中なので、通りかかった買い物客もさりげなく足を止めて、聴衆になっている。澄み切ったジャズの音色は途切れもなく夏の渓谷の水のように流れてきて、モールの上空で響き渡っていた。トリオのメンバーはどこのだれかがまったく知らないが、無料出演にしては、実に息のあった見事な演奏だった。
私がジャズに目覚めたのは、30代になってからだった。といっても、聴き専門に過ぎない。最初は、「ジャズを聴いている」というだけで、ちょっとオシャレでかっこいい気がしたのはきっかけだった。しかし、聴いているうちに、ジャズが持つ「個」を無限に表現する力、そしてなんとも言えない色っぽい哀愁が漂う音色にどんどん惹かれていた。主人の影響で、よくライブハウスにも足を運ぶようになった。でも、屋外で本格的なジャズを聴いたことは、まだ一度もなかった。まさか、渡米して初めて経験する夏に運がよくこんな心地よい空間に居られるとは思わなかった。
ん、でも、ちょっと待って、何か違和感があるけど……トリオの全員は黒人だったけど、なんと聴衆のほとんども黒人か、黒人と白人の混血の人たちではないかということに気づいた。それに、白人は少数派で、我々以外のアジア風の顔はほとんど見当たらなかった。言うまでもなく、ジャズは黒人文化を代表するものの一つだが、私は人生において、一度にこんなに大勢の肌の色が濃い人達を目の前で見たのは、初めてだった。正直に、一抹な不安もあった。Detroitからそう遠くないCantonという町は、どんな町か、まだほとんど知らなかったからだ。
でも、一目瞭然に彼らは、男女問わず、みんながおしゃれをしていた。ドレスを身に纏って、ハットを斜めにかぶっていた若いお母さん、麻の襟付きシャツに白いズボンにピカピカに磨いた革靴、という一昔前の映画の主人公のような格好している白髪の男性、髪をきれいに結って、口紅もマニキュアもバッチリな年配の女性、みんな、社交場に出かける格好だった。どの人もにっこり微笑んで、そして熱心に音楽に耳を傾けていた。体はごく自然にリズムに乗って軽く揺れていた。
音楽を愛する人は悪い人が居ない、と私は自分に言い聞かせた。
途中休憩の時に、私はテントのところへチラシをもらいに行った。演目リストみたいなものはなく、「Canton Color tour- Jazz Series」を協賛するCantonの地元の商店街を紹介する「shop canton」という冊子、及び同日にステージが設置されるblock(ブロック)内にあるお店リストが渡された。それに、場内アナウンスもあって、次回の開催時間と場所を知らせたほか、当日ステージがあったブロック内のお店で20ドル以上を消費した方が提示したレシートをもとで行われた抽選結果の発表もあった。つまり、「Canton商店街振興」はジャズフェスティバルを主催する趣旨だ。夏の間、7週間か8週間に渡って毎週土曜日の夕方に2時間ほど開催されるもので、毎回の上演場所をブロック分けして、さらに分かりやすいように違う色彩で各ブロックを記すー「Canton Color tour」は、そういう意味だ。第1回目の開催は2005年の夏で、2014年ですでに9回目を迎えた。
後半のセッションはもっと年季と気合が入ったものになって、会場からの拍手も増えた。そして、曲目がダンス系に変った時、何人か待ちきれないように自分の席から立って、ステージ前の空きスペースに向かっていた。誰も発声しなかったのに、まるで何度も何度もリハーサルしたように、彼らは列を成して軽やかにリズミカルに踊り出した。奏者たちの微笑が深くなった。トランペットからサックスにかわった奏者がステージから降りて、聴衆たちの間に遊走しながら煽るように一段と華麗な音符を吹き出した。その誘いを断わったら申し訳ない、という人達は次から次へと踊りの陣列に入っていた。
空は徐々に淡い紫色に変わった。涼しくなった風はメロディーに紛れ込んだ人々の笑い声と拍手を拾い上げて遠くへ運んで行った。なんと素敵な一日の終わり方だろう。
私にとって、Cantonで出会ったこの最初のJazz Festivalのすべては新鮮だった。そして、心の底に響くものを感じた。こういう小さな町のJazz Festivalは、ミュージシャンたちも聴衆たちもほとんどが地元の住民たちだ。ミュージシャンの中で、プロとして活動している人もいれば、普段はまったく違う仕事をしているジャズ愛好家もいる。もちろん、演奏のレベルもかなりのばらつきがある。でも、その場にいる限り、聴く側も聴かせる側も全員が真剣だ。その真剣は、「真面目」というニュアンス的なものではなく、「この時空を大切に共有する」という具合なものだ。ジャズバージョンの「一期一会」だと解釈したら、分かっていただけるかなあ?
その年の9月の第一週目のレイバー・デイ(労働者の日)の3連休に、主人は私をデトロイトで開催されるDetroit Jazz Festivalへ連れて行ってくれた。これは35年以上の歴史があって、かなり有名な方々も出演されていて、現在は北米最大の無料で楽しめるジャズフェスティバルになった。開催中に、デトロイト市は一部の道路をブロックして、ダウンダウンの中心部を4つのステージエリアに作り上げる。そして、連続3日間、朝から夜中までに4つのステージが同時進行する。
Detroit Jazz Festivalのスケールはさすがにとても大きかった。私たちはいろんなステージを回って、どっと疲れるまで様々なジャズを聴いた。夏の光があふれる午後に、私たちはステージを背後にして芝生の上に腰を下ろした。ジャズを聴きながらデトロイト川を眺めて、川の向こうのカナダを眺めて、周りにいる人々も眺めた。椅子に座って真面目な顔で聴く人もいれば、芝生の上で寝転がって聴く人もいた。ワインとサンドイッチを持参して、シンプルなピクニックしながら聴く人もいれば、本を片手にして聴く人もいた。どの姿勢も、この開放的な空間と渾然一体だった。みなさんそれぞれ、顔に満足の色が浮かんでいた。
ジャズって、こんなふうに気取らずにBGM風に聴いてもいいのだ。日本で味わったことがない経験がまた一つ増えた。
Detroit Jazz Festivalも、やはり肌の色が濃い人達が圧倒的に多かった。そして、私がCantonで知ったように彼らもお洒落だった。30度を超えた暑いさなかに、彼らはきちんと背広を着込み、蝶ネクタイを節度正しく結んで、皮靴を履いていた。オペラやクラシックを聴きに出かける時の正装に彷彿させるぐらい、粋だった。
それは、リスペクトを表現する方法の一種であろう。ジャズに、ミュージシャンたちに、そして、その夏に居る自分達に。
Xuena