デトロイト  美しき廃墟の街をゆく

 1950年代初頭に180万人を擁し全米4位の大都市として繁栄を謳歌したデトロイトは、現在までにその60%以上の人口を失い、市街地の3分の1が空洞化した。機能を停止し放置された建物は朽ちて廃墟となる。昨今新スポーツアリーナの計画や高級アパートの建設ラッシュなど復興を伝える明るいニュースも多く聞かれるデトロイトだが、今回はそのスポットライトの陰になっている闇の部分に足を踏み入れ、廃墟群の実態を探ってみることにした。
 ミシガン中央駅に代表されるモニュメンタルな廃墟の多くがフェンスで頑なにガードされているので、今回の調査では、廃墟探訪を専門とするツアーに参加し内部深くに潜入する試みも行った。

1.    ミシガン中央駅(Michigan Central Station)

 ダウンタウンの西方、歴史的なアイリッシュ移民の街Corktownを見下ろして聳える18階建ての威容は1913年に開業した当時、全米一高い駅舎と言われた。1988年に最後の列車が発進し閉鎖された後、数々の再使用案が出されたが巨額投資の算段がつかず放置されてきた。意匠を凝らした壮麗なアールデコ建築はデトロイトの盛衰を象徴する廃墟と言える。現在は国境のアンバサダーブリッジと同じ不動産グループが所有しており、窓ガラスの全面修復を済ませ外観を整えたものの、将来の具体的用途は未定のようだ。

住所:2405 West Vernor Highway, Detroit

2.Michigan Theater

2014年7月撮影
2014年7月撮影

 劇場やクラブが集中していたダウンタウン中心部に位置するMichigan Building内で、1926年から1976年まで営業をしていたこのシアターは、4000を超える客席数でミシガン州最大級を誇り、Benny Goodman、Jimmy Dorseyなど大物エンターテイナーが出演した。現在はビルの他テナントを引き留めるために駐車場に改装されたが、豪華な装飾の多くの部分が残り往時をしのばせる。エミネムの「8マイル」など、映画のロケでも多く使われている。ここは駐車場の守衛に頼んでのぞかせてもらったものの、近隣に立地するやはりマニア垂涎の劇場廃墟United Artist Theaterは強固に閉鎖され立ち入るのは困難だった。

住所:220 Bagley Avenue, Detroit

3.Harry B. Hutchins Intermediate School

 中等教育の革新を掲げて1920年初頭にデトロイトに開設された3校のPhysical education and vocational schoolの一つで、校名も往時のミシガン大学長の名に由来する。ダウンタウンの北部、ユダヤ人を中心とする比較的裕福な住宅地に囲まれ、広大な体育館や男女別プールは勿論、機械や電気技術のトレーニング施設、巨大なボイラー棟を備え、「理想的な教育設備」と称賛された。1960年代のピーク時には2000人の生徒を擁したが、周囲の急激なスラム化と人口減の結果生徒数が減少し2009年に閉鎖された後は、容赦ない破壊、収奪に抗することも無く、今日では目を覆うばかりの荒廃した姿を晒している。案内してくれた廃墟ツアーのガイドは、デトロイトの学校の半数は似たような状況になっていると話していた。
なお、今は有名ラッパーとなったエミネムが若いころ遊びに来て壁に名前(Marshall Mathers)を書いた跡がある。

住所:8820 Wilson Avenue, Detroit

4.Brush Park地区

 19世紀末のデトロイト発展期にエリート層の住宅地としてダウンタウンの北に隣接して開発された高級住宅地で、当地のマンションの多くを設計した建築家のAlbert Kahn自身や、ダウンタウン中心部にあったHudsonデパートの創業者Joseph L. Hudsonも居を構えた。20世紀初頭から始まった富裕層の郊外拡散の波、更に大不況や人種暴動が急速な荒廃に拍車をかけた。当時の最先端の様式を取り入れた優美な家々や、「White Flight」の端緒となった歴史的価値は大きく、州と国の歴史地区に指定されている。
 一方で、ここはその立地の良さからデトロイト復興でも先陣をきって空き家を取り壊し新たなアパート群の建築が進んでおり、ダウンタウンへのビジネスやリテール業回帰の動きを支えている。私が先日会ったJ.P.Morganデトロイトオフィスの若手VPもここに新居を構えたと言っていた。
 なお、Brush Parkから富裕層が移り住んだ(当時の)よりトレンディな住宅地Boston-EdisonやIndian Villageはビッグスリーのエグゼクティブが好んだ地域で、ここがデトロイトかと驚く煉瓦造りの重厚な豪邸が立ち並んでおり、廃墟ではないが一見の価値がある。

5.St. Margaret Mary Catholic Church

 1920年に市東部に設立されたカトリックの教会。1923年には隣に学校も併設された。地域の産業衰退に併せ、住民の人口構成が白人カトリックから黒人プロテスタントに移ったことも60~70年代に利用者が減少した要因のようだ。2012年にサービスが終了した後は例にもれずVandalism の餌食となった。ひっくり返り腹をさらけ出したグランドピアノが痛々しい。
見学の最中に、イスラエルの放送局のロケ隊(デトロイト盛衰の特番)が入り、廃墟ツアーのガイドと嘗て礼拝に来ていたという近所の老婦人にインタビューをしていた。

住所:5045 Lemay Street, Detroit

6.Mishkan Yisroel Synagogue

 ダウンタウンの北西の住宅地にロシア系のユダヤ人によって1925に設立されたシナゴーグ。60年代にユダヤ人が市の北部や西部に移って行った後は様々な宗派に利用されたようだが、2004年までには完全に放棄された。
内部は足場にも困るほどの見事なまでの廃墟となっていた。

住所:2625 Blaine, Detroit

7.Fisher Body Plant 21

 米/カナダに40の工場を持ち多くの自動車会社に車両ボディを供給していたFisher Body会社の21番目の工場として1919年にAlbert Kahn設計により建てられた6階建ての巨大な工場。T型フォード発祥のPiquette工場(今は博物館)に隣接し、いわば米国自動車産業の揺籃の地で1984年まで生産を続けた。東方に位置するデトロイトの偉大な産業遺産のシンボルだった旧Packard自動車工場がペルーの投資家に買われて立ち入り困難になってからは、専らこちらが工場廃墟愛好家のメッカとなっているようで、内部散策中にもいくつもの見学グループに出会った。

住所:700 Piquette, Detroit


 これまで見て来たものは、370㎢に及ぶデトロイト市域に眠る厖大な数の廃墟のごく一部にすぎないとはいえ、昨今の街の復興機運の中では見るべき「名所」が減っているのではないだろうか。そんな疑問を廃墟ツアーのガイド氏に問いかけた。返ってきた答えは、再生されて廃墟でなくなる物件もあり一方でまた新たに廃墟が生まれている、というものだった。活動する都市が新陳代謝を続ける傍らで廃墟群もまた絶え間ない生と死のドラマを繰り広げているのだ。
 廃墟はその本来の機能を止め放棄された状態でそのまま凝固するわけでは無い、かといって、ただひたすら朽ちてゆくといったものでもない。風雪や湿度が化学的な変化を生み出し、選択的な奪取を受け、さらにグラフィティやペイントで付加価値(?)を与えられ、独自の変容を遂げていく。ときにそれらは正統な美を拒否し独自の美学を主張する印象派や、ベーコン、ポラックといった現代絵画を見るような錯覚をもたらす。
 また我々には、兵どもが夢を想い、諸行無常の響きを聞くといった古来日本的な美意識が刺激されることもあるかもれしない。盛者必衰の理(ことわり)に反して、デトロイトが力強い復活を果たしてくれることを願うばかりである。

小林 章夫