マキノーブリッジを歩いて渡る

 ミシガンを紹介する写真に必ず出てくるマキノーブリッジ。アッパー半島との間に横たわるマキノー海峡(Straits of Mackinac)に架かる長い吊橋の優美な姿、青空に映える白い塔と緩やかなケーブルの曲線が旅情をそそる。毎年、レイバーデーにこの橋を歩いて渡る催しが行われている。湖の絶景を臨むブリッジウォーク。一歩一歩踏みしめながら歩くと、橋への愛着がふつふつと湧いてくる。

Mackinac Bridge” を日本語ウィキペディアで検索すると、「マキナック橋」でヒットし括弧付きで「マキノー橋」とある。Mackinacのカタカナ表記には日本語読みした「マキナック」、発音に近い「マキノー」や「マッキノー」などがあり表記に戸惑うが今回は「マキノー」で統一した。この地域はアメリカ先住民のAlgonquin語でturtleを意味するMichinimikanaと呼ばれていたが、1670年代以降に入植したフランス人にはMichilimackinacに聞こえ、更にそれが省略されてMackinacになった。その後、イギリス支配となり、ロウアー半島の町はMackinaw Cityと英語式に名づけられたと言われている。

1957年11月、マキノーブリッジ開通

    幅約8キロのマキノー海峡は地理的にミシガンを二分し、交通上の大きな問題だっただけでなく、人々の交流も遮断し1900年頃アッパー半島には“State of Superior”としてミシガンから分離しようとする動きもあったほどだ。1884年に橋かトンネルかの建設を提唱する記事がGrand Traverse Herald紙に掲載されてから水に浮かぶ“floating tunnel”や島を結ぶ橋なども検討されたが、狭い海峡に吹きつける風は時速80マイル(129km)を超え、氷の高さは40フィート(12m)に及ぶこともあり、厳しい環境の中、莫大な費用をかけて人口の少ない地方に橋を建設する計画はなかなか進まなかった。海峡には危険な暗礁や浅瀬も多く海難事故による難破船が今なお沈んでいると言う。1923年にフェリーが運航を開始したものの乗船を待つ列は時には数マイルにも及び橋の必要性が高まり、1934年Mackinac Bridge Authorityは改めて海峡を直接つなぐ橋の建設を検討した。橋の構想が世に出て約70年を経て1954年5月、ようやく橋の建設が始まった。海底の軟弱な岩、厚い氷、強風、天候による作業期間の制限、予算不足など、建設は容易ではなかったが、1957年11月、ミシガン人の長い夢であった橋がついに開通した。

Mighty Macの愛称で知られるマキノーブリッジ

 マキノーブリッジの全長は約5マイル(8km)。両端の浅瀬に架かる橋桁は橋脚で支えられており、中央部分の8,614 フィート (2,626m)が吊橋になっている。高くそびえる部分は主塔と呼ばれ、橋の命綱とも言われるメインケーブルを支えている。2組の主塔間の距離は3,800フィート(1,158m)、高さは水面から552フィート(約168m)。道幅199フィート(61m)、 重さ1,024,500トン。1940年のTacoma Narrow Bridgeの崩壊後、更に研究されケーブルは時速125マイル(約201km)の風にも耐え得る構造に設計された。
    吊橋の長さを比較する時、橋の全長ではなく通常、主塔間の距離でランキングを決めることが多く、それによれば世界で1位は明石海峡大橋、マキノーブリッジは10位にランクされている。アメリカ国内ではニューヨークとブルックリンを結ぶヴェラザノナローズブリッジ (Verrazano Narrows Bridge)、ゴールデンゲートブリッジ(Golden Gate Bridge)に次いで3番目となる。比較基準で順位は変わるので目安にしかならないが、いずれにせよ世界に誇る長い吊橋であることに違いない。
    橋の色を決めるきっかけになったのは1954年、ある雑誌の広告に登場した橋のデザインである。アイボリーの主塔が雲まで届き緑の橋桁が荒波に横たわる逞しくも華麗なデザインだった。ミシガン州立大学Spartansのチームカラー、白と緑に似ているが、デザイナーがミシガン州立大学の卒業生だったという事実はなく関連は無いようだ。金属製の橋は腐食などから保護するため慣例上、黒や灰色で塗られていたが技術の進歩がこの色を可能にした。

59回の歴史を持つマキノーブリッジウォーク

    橋が完成したのは寒さが厳しい11月だったため、翌年1958年6月に開通記念式典が行われた。その一部として当時の州知事Williams氏が橋を歩いたのがブリッジウォークの始まりで、一行は霧の立ち込めた雨模様の中、マキノーシティを出発しアッパー半島のセントイグナスへ向かった。知事は65分で歩いたと言うからかなり速いペースだ。翌年、開催日がレイバーデーに変更され今年で59回目となる。
    参加者は最初の年が約60名、その後、年毎に増え続け、1968年には約15,000人、現在では40,000~65,000人が参加する大イベントになった。出発地点は毎年変更され、両市を交互に出発地点とした時期もあった。参加者が6,000人に急増した1964年以降、参加者の多くがロウアー半島へ帰るため帰路の便を考えてセントイグナスを出発地点に固定したらしい。来年は60回、美しい橋とロケーションの良さで多くの人の参加が見込まれる。

初めてのブリッジウォーク

    事前の登録も参加費用も必要ないと知り、勢いよくブリッジウォークの参加を決めたのは開催日の1週間前。流石に橋の近くのホテルには空きが無く、あっても法外な値段で手が出ない。そこで前日は出発地点のセントイグナスから車で1時間ほどの距離にあるスーセントマリーに宿をとることにした。少し遠すぎるようにも思えたが、運河見学を楽しむことができ結果的には悪い選択ではなかった。

    当日の朝、7時15分、ホテルを出発。午前7時の州知事のスタートに続いてウォークがすでに始まっているはずで、早く行かないと参加者の車で高速が渋滞するかもしれない、駐車場が満車になるもしれないと気が急いたが、あっけないほど車は少なくMackinac Bridge Authority西側のBridge View Parkに予定通り8時過ぎに到着した。最終スタート時間の11時までにはまだたっぷり時間があり、駐車場にも空きがあった。ここが満車の場合は少し北に用意されたLittle Bear East Arenaの駐車場を利用する予定だったが、その必要はなかった。
    湖岸まで行って湖を見渡すと対岸が霞んで見えるほどに橋は長い。途中にはトイレがないので公園にある仮設トイレには長い行列ができていた。念のためという思いが頭によぎったが、やはりパス。スタート地点への矢印に従ってルート75を横切ると、音楽ありDJあり報道陣のカメラありでお祭り気分が高まってきた。
    午前8時30分、晴天に恵まれてスタート。南向き2レーンの車道いっぱいになって歩く人の群れには勢いがあり、流れに乗って歩くと清々しい風が心地よかった。目の前には濃紺に輝くヒューロン湖とミシガン湖が広がり、アメリカ先住民が神聖な場所としていたマキノーアイランドも視界に入り、気分が高揚していった。

    歩き始めておよそ30分、待望の吊橋に辿り着くと驚愕の事実が。中央寄りのレーンがなんと約5センチ四方の格子状の側溝の蓋のようになっているではないか!車で通過した時、ガタガタと音がしていたのはこのためだったのだ。軽量化のため?経費節減のため?下を覗くと青い水が見え、足がすくんだ。
    頭上には主塔が迫力で迫り、このアングルでの写真は橋に立てばこその貴重な1枚だ。ふと気付くと、主塔の上に報道陣らしき数名の人影が見えた。一体どこから上ったのだろう、という疑問に答えるかの様に絶妙のタイミングでまさにこれから塔に上ろうとしている人に遭遇した。閉まっていたら気付かない様な人がやっと入れるほどの小さなドアがあったのだ。
 橋の上は寒いという予想に反し、次第に日も高くなり上着を脱ぎ始める人が増えてきた。ベビーカーや車椅子も見かけたわりには最初は歩く速度が速かったが、9時30分を過ぎると歩行者が使えるのは1レーンだけに制限され急にペースが落ちた。それでもスタートから約1時間50分でフィニッシュラインに到着し、証明書を受け取った。

    湖畔にあるMichilimackinac公園にはトイレもあり、休息を取ったりBBQをしたりしている人が多くいた。すぐには橋を去り難く、しばらくウォークの余韻に浸って、灯台から素晴らしい光景を見降ろした。ミシガンを象徴するマキノーブリッジ、この壮大なプロジェクトを完成させた自信と感動を共有する2時間でもあった。

    シャトルバス(一人5ドル)が5:30am~2:30pmの間、マキノーシティConkling Heritage Parkとセントイグナス間を運行しており、トラバースシティ、ペトスキー、ハーバースプリング、シボイガン(Cheboygan)、ゲイロード(Gayload)、ロジャーズシティなど、周辺の市から駆け付けた黄色いスクールバスが休む間もなく参加者をピストン輸送していた。例年と異なり最高気温が83度まで上がり暑い日となったため、バスに乗るまでの2時間はとても長く感じられた。昨年は待ち時間が30分位だったという話も耳にしたので、今年は参加者が多かったせいだろうか、2時を過ぎてもまだ歩いている人がいた。この時間帯は人がまばらでダースベイダーやスパイダーマンなどのコスチュームを着て悠々と歩いている人もいて、早朝とは雰囲気が違って面白い。

自転車、ローラースケート、スケートボード、煙草、傘、動物などは禁止。走ったり競ったりしてはいけない。(ブリッジウォークのサイトで要確認)
又、この日、ウォークに先だって、ブリッジランや海峡を泳いで渡るMighty Mac Swimなども行われている。このほか、Memoeial Bridge Run,Antique Tractor Parade,Fall Colors Bridge Raceなど、1年を通して様々な催しが行われている。

 人知を結集して完成した吊橋、荒々しくも壮観な海峡の眺め、そしてそこに生きた人々の歴史も含めて橋は人を魅了する。日本でも明石海峡大橋を歩いて渡るツアーや主塔に上る体験ツアーがあるらしい。関門橋は歩けないが、海底トンネル人道は歩くことができると聞く。震災を超えて開通した明石海峡大橋、日本へ帰ったら必ず歩きに行こう!

 愛子

参考サイト・文献
    http://www.mackinacbridge.org/ 
    Bridging the Straits by Lawrence A. Rubin、
    Mackinac  by Donna Marie Lively